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あでぃすでぃす

広義の自傷行為と思しき文章等を放り込むスペースです。

【レッドゲルニカ復帰記念】短編小説『一口ゴコロ』

こんにちは。会員番号26511ことあでぃすです。
実は昨年末のいわゆる「コミケ」用に、大学で所属していた競馬サークルから「何かスペースを埋める文章を寄稿して~」と言われまして、とは言え競馬のこととなると触れられない事も多く、血迷った挙句レッドゲルニカに関する小説を書きました。
今週末の京葉Sで戦列復帰、OP初挑戦ということで、せっかくなのでコレを公開します。加筆、修正をしようと思いましたが、読み返す精神力が足りなかったので寄稿時そのまんまです。
※当たり前ですがフィクションです。

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一口ゴコロ
あでぃす

 

「俺はな、旅の続きを共にしてみたいと思ったんだよ」

競馬と言ったら新聞を買って競馬場に行って馬券を買うだけ。グッズも買わない、競馬のための旅行も行かない、特別な感情を抱く馬もいない(実はこれは私の認識の誤りだったのだが)、そんな典型的な馬券オヤジだった父が、突然一口馬主のカタログを持って私の元を訪れたのは、一昨年の夏だった。

 父と違って私は一口馬主もやる。POGもやる。競馬場巡りと言ってしょっちゅう旅に出るし、それで海外にもいったことがある。「この馬が大好きだ!」と特定の馬の追っかけになるようなこともあるし、家にはぬいぐるみからDVD、どうせ置き場所に困ると言うのにゼッケンや額縁に入れた写真なんかもある。ただ、父は私のそういう馬券と離れた競馬との付き合い方を、ややもすれば軽蔑しているような節すらあった。要は、本質的に鉄火場の人間なのだ。だから、「ちょっと仕組みが良く分からなくてよ。こういうのは詳しいヤツに聞けって言われたもんで…」とカタログを私に差し出してきた時は本当に驚いた。

 父が持ってきたのは東京サラブレッドクラブのカタログだった。聞けば、カジノドライヴの初年度産駒に出資がしたいのだという。ここで初めて、父が「カジノドライヴ」という存在に特別な思いを持っていることを知ることになった。馬券が買えない海外競馬なんかには興味を示さない父と、米国遠征でストーリーを紡いだカジノドライヴ。全くピンとこなかったし、事実、その当時には米国遠征中のカジノドライヴについては「何か良く分からん馬がアメリカで何かやってる」としか思っていなかったそうだが、帰国初戦のJCダートで存在を知り、遡って様々なエピソードを聞くにつれて、すっかり虜になってしまったのだという。そして先日のこと、馬券仲間の誰それから、カジノドライヴの子供が来年からデビューするのだと聞いて、地力で東京サラブレッドクラブのカタログを取り寄せるに至ったのだと。

 父の意外な一面を見た思いのした私は、ちゃんと一口馬主の仕組みや初期の手続きを丁寧に、誠実に教えてやり、募集馬の中に2頭いたカジノドライヴ産駒の内、どちらを選ぶかまで二人でウンウンと検討を重ね、結局、封筒をポストに入れに行くところまで付き合ってしまった。

「それにしても、『旅の続きを共にしてみたい』なんてキザな言葉が父さんの口から出るなんてね」

 別れ際に私が笑いを含みながらそう言うと、父は恥ずかしさを隠すように、軽く私の頭を叩いた。

 

 かくして突然一口馬主となってしまった父だが、出資馬がデビューするまでには結構な時間が掛かる。1歳の夏に出資を決めて代金を支払っても、デビューは早くて1年後。父の出資したカジノドライヴの子供、”レッドゲルニカ”は2歳12月のデビューとなったので、あの夏の出来事から1年と4ヶ月待ったことになる。ただ、父は飽きずに月1回更新される近況報告をまるで嫁いでいった娘からの手紙のように心待ちにし、やれ「トモに力強さが出てきたらしい」だの「走りが硬いって。やっぱダートか?」だの「歩様が乱れたって、大丈夫なのか?デビュー出来るのか?」だの、まるで競馬初心者のようにいちいち私に連絡を入れてくるのだった。確かに、馬券一筋の父にとっては、デビュー前の馬の成長を見守るという機会自体が無かったはずだ。さぞ新鮮な1年だったのだろう。

 デビューは2015年12月19日の中山ダート1800m戦。この日は残念ながら父も私も現地での観戦は叶わなかった。ここまでの父のイレ込みっぷりからすると、おそらくドカンと馬券勝負をするのだろう、と私は思っていたのだが、どうやら期待を飛び越えて不安になり、不安も飛び越えて悟りの境地に達したとでも言うべきか、「大型馬だし、デビュー前に軽く順調さも欠いたしよ、ココは危ねえんじゃねえかと思うんだ」なんて、妙に冷静な事を言って馬券は1円も買わなかったそうだ。

 結果は1番人気で3着。道中の運びは良かったように見えたが、直線で追ってから意外と伸びず、というレースぶりだった。レース後に父に電話すると、「な、やっぱりまだ緩いんだよ」なんて客観的に語っていたが、後日、父の現地仲間に聞いたところ、翌週の競馬後の居酒屋で、泥酔しながらレッドゲルニカの初戦について延々と、それはもう悔しそうに話し続けていたという。

 レッドゲルニカが初勝利を挙げたのは結局年明けの4戦目、フェブラリーS当日の東京競馬場だった。この時はGⅠ当日ということもあり、予定を合わせて父も私も現場にいた。前走で着差を詰め、レースぶりも良くなっていたので二人とも「そろそろかな?」という気持ちはあったのだが、何と、突然の7馬身差での大圧勝。抜け出した瞬間こそ声が出たのだが、みるみる後続を離していく姿に、途中からは半ば放心したように、静かに見守ることしか出来なくなってしまった。父の愛馬を見ている私ですらも大層心を揺さぶられる勝ち方だったのだから、その当人の感動といったらどれほどのものか。ちなみに、単勝が4.6倍も付いたので競馬の後は久しぶりに良い寿司を食べた。

 

 父の競馬への接し方が変わったのはこの初勝利の後からだったと思う。500万クラスに上がってからは、父は毎回レッドゲルニカ単勝を買い続けた。私はと言えば逆に「良馬場じゃ危ないよ」「今回は相手が強いよ」なんて、父を諌める側に回ることとなったのだが、

「勝つ勝たないじゃねえんだ。これは応援だから」

と、聞く耳を持たなかった。そう。父から競馬において”応援”という言葉が飛び出すこと自体が、今までの姿勢からすれば信じられないこと。夏までの着順は4・2・4・5着。馬券は全て外れているし、なかなか勝ち上がれない現況に悔しさやもどかしさも大きかったはずだが、それでも父は1戦1戦が本当に楽しそうだった。負けた後も愚痴や不満ではなく、なるべく良いところを見つけて「次こそは勝てる」と毎回締め括るのだった。

 父の変貌っぷりは十分過ぎるほどに感じ取っていたので、7月に突然函館に行くと言い出した時も、もはや驚くことは無かった。これまでのダート路線から新味を見出すべく函館芝1800mの湯浜特別に出走。現地でどうしても見たいのだという。ハッキリ言って私は万に一つも勝つことは無いと思っていたが、もはやそんなことを言う意味も無いので黙って見送った。結果は10頭立ての10着。帰ってきた父は大層落ち込んでいるのかと思ったが、全くの上機嫌だった。実は父も現地で見たいとは言った割に馬券になることは無いと思っていたらしく、別の馬からバッチリ馬券を獲り、函館観光を堪能してきたのだという。東京のレースでは毎回単勝を買っていたのに、変な所で冷静である。いや、こうやって1頭の馬にイレ込むからこそ、馬の適性や勝ち筋も、時にはダメだという確信までも、人一倍に見えてくるということなのだろう。

 

 そんな、夏まではズッコケ珍道中だったレッドゲルニカの快進撃が始まったのは秋を迎えてからだった。函館でのドン尻の後で軽く休養を挟み、路線を切り替えて中山ダート1200mに登場したレッドゲルニカは、何と2馬身差の勝利でアッサリと2勝目を挙げる。昇級戦となった10月東京は相手が悪かったもののハナ差2着。続く11月末の1000万クラス2戦目で3馬身差の圧勝を決め、一体春の足踏みは何だったのか、そう思わずにはいられないほど簡単に、準オープンまで歩みを進めてしまったのだった。

 2016年、レッドゲルニカの最終戦となったのは有馬記念当日のダート1200m、フェアウェルS。レッドゲルニカの快進撃の始まりとなった舞台だが、準オープンへの昇級初戦。ここまで来ると決して楽な戦いではない。

 私は背が低く、あまりに混み過ぎるとレースが見えなくなってしまうので有馬記念当日の中山競馬場は遠慮することが多い。が、今年は久々に現地にいた。

 横には一張羅をビシっと決めた父。

 初めて口取りを申し込み、当選したのだ。

 

 夏までは善戦を繰り返しつつのレースが続き、ある種牧歌的に愛馬の成長を見守る…そんな趣でレッドゲルニカに接していた面もあっただけに、父はこの秋の快進撃に大いに歓喜しつつ、それでいてあまりの急展開に困惑しているようでもあった。その中で初めての口取りが懸かった一戦。流石に普段とは違う緊張感を抱いている、横で立っていてもそのピリピリとした空気はひしひしと感じられた。

 やはり有馬記念当日。フェアウェルSは8Rだったが、既に人が多い。私たちは昼前に着いたくらいで、パドックも見ていたのでコース側に出ると既に人の波。案の定、私の身長では前にズラリとそびえる人壁の間から僅かにターフビジョンとコースを盗み見ることしか出来ない。これだから混み過ぎるのは嫌なのだ…と言っても仕方ない。今日の主役は父とレッドゲルニカなのだから。

 

 ゲートが開く。最内枠は不利に思えたが、いつも通り二の脚が速い。いわゆるイン3に収まった。軽く掛かっている。モニターから姿が消えた。チラリと横を見る。仁王立ちの父。直線。綺麗に前が開いた。追い出す。モタついている?が、残り200mの標識を境にグンと伸びる。私も思わず声が出る。逃げ馬を捕まえる。抜け出す。リードを広げる…、いや、気が抜けた?フワっと脚が止まる。外から…!追い込み馬が…!

 

「ギリギリ残した?大丈夫かな?」

 そう父に尋ねて横を向いたのだが、その視界の先に父はいなかった。

突っ伏して、泣き崩れていたのだ。

その姿を見て、私はレッドゲルニカが勝ったのだろうと認識すると同時に、胸に熱いものが広がるのを感じた。思えば、カタログを持ってきてからの2年半というもの、今まで知らなかった父の姿というものを思い知らされてばかりだ。当然、公衆の面前で崩れ落ち、嗚咽を漏らす父も、私は知らない。一頭の馬が、ここまで一人の人間を変えてしまうなんて、やっぱり競馬は不思議なもので…

 と、私まで感極まっている場合では無い。こういう事態が起こった時のために(流石に泣き崩れるなんて本人すら思っていなかっただろうが)私がわざわざ同行しているのだ。すぐに父を「口取りの集合場所に行かないと!」と抱え起こし、喧騒の中を進んで行った。競馬場には似つかわしくないスーツの男が、泣きながら父娘ほど年の離れた小娘に肩を抱かれながら、いや、実際に父と娘なのだが、おぼつかない足取りで雑踏を掻き分けていく。今思い返すと、相当妙な光景に映ったことだろう。

 私と別れてから少し経って、ウィナーズサークルに登場した父は、いつの間にか心を立て直したのか、さっきの姿が何だったのかというくらい、凛々しい、精悍な表情に戻っていた。

 写真撮影を終え、関係者がそれぞれ次のレースの準備へと戻っていく中、北村宏司騎手と目が合ったような気がした。

「これからも、レッドゲルニカと父をよろしくお願いしますね」

心の中でそう呟くと、私も父を迎えに行くべく、ウィナーズサークルを離れた。

 

来年、そしてその先へ続く

 

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おわりです。京葉Sは普通ならいい勝負になると思いますけど…。

余談ですが、タイトルはたまたま机にあった、沼田まほかる氏の『ユリゴコロ』から拝借しました。そっちの方が3億倍面白いと思います。